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第13回 石工職人「穴太衆」

受け継がれる石工職人の技

戦国時代初期、織田信長公が比叡山延暦寺を焼き払い、破壊行為を繰り返す中、唯一破壊出来なかったのが石垣で、堅牢さと高さに驚き、初めて石垣がある安土城を築城した。その際に石積みに携わった「穴太衆(あのうしゅう)」と呼ばれる集団は、石垣を積む高い技術を持っていた為、その後の築城には欠かせない存在となった。「穴太衆」とは滋賀県大津市坂本穴太の里に住み着いた石積み集団で、現在唯一石積みの技術が伝承されているのが「穴太衆」末裔の粟田建設だ。

近年、日本の城は国内外問わず絶大な人気がある中、城郭だけではなく、石垣に興味を惹かれている人も多い。石垣を積む技術とはどのようなものなのか。そんな疑問を探るべく粟田氏にお話を伺った。

坂本の町並み (写真提供:(株)粟田建設)

15代目 粟田純徳氏
株式会社粟田建設 代表取締役
   城以外にも寺院や一般邸宅の石垣も手掛けている。
祖父の13代目粟田万喜三氏、父の14代目粟田 純司氏は人間国宝である。